近代の大阪を舞台に、さまざまな実業家が名を成しました。
その一人が藤田伝三郎。
長州藩の萩に生まれ、高杉晋作の奇兵隊に参加した後、1869(明治2)年ごろに大阪に移り、
軍靴製造を皮切りに建設業や鉱山業、紡績業、鉄道業など多くの会社を興して、藤田財閥を築いた人物です。
現在の太閤園淀川邸は、藤田伝三郎男爵が1910(明治43)年から14年にかけ、息子のために建てた邸宅です。
玄関の唐破風(からはふ)は特に江戸時代、格式ある玄関に用いられた形です。
それを継承しながら、奥行きをより長くすることで、洋館の車寄せと同じ役割が果たせるようにしています。明治時代に現れた形式です。
文章の出所:日経XWoman
明段舎株式会社が淀川邸を撮影した当時は、藤田観光グループの「太閤園株式会社」が高級レストラン・挙式場・宴会場として運営していました。
そのため、テーブルには披露宴のセッティングや部屋別の使用料が吹き出しに表示されることになっています。
現在淀川邸は使われていませんが、この建物の記録ができまして、光栄に思っております。
当社は、3D・360度・VRでご提供します。
上記の撮影:明段舎株式会社
撮影機材はMatterport Pro2です。